【ラッセルの幸福論のカギ概念】 第十一章 熱意

哲学

ラッセルの幸福論はすべてで17章あるんだけど、

個人的にはこの11章の”熱意”が一番大切かなと思っています。

 

これこそが幸福になるためのカギだなぁと。

ぶっちゃけ、”熱意”とだけ言われても意味不明なので、

・何に対して?

・どんなふうに?

熱意を持つのかを明らかにして、

ガチで幸せになっていきたいですね。

 

 

多くのものに関心を寄せなさい。

 

いや、ラッセル先生天才だわ… って思った一節を紹介。

たとえば、甲はイチゴが好きで、乙は嫌いだとしよう。

どんな点で、乙の方が優れているのか。

イチゴが好きな人にはよいし、嫌いな人にはよくないだけの話だ。

しかし、イチゴが好きな人は、嫌いな人の知らない快楽を知っている。

その限りにおいて、前者の人生のほうが楽しいし、

また、前者のほうが、両者が暮らさなければいけない世界によりよく適応していることになる。

 

要するに、

『とある物事を好きか嫌いかで人の価値が決まるわけではないが、

その物事を好きな人のほうが、楽しめるチャンスも幸福になれるチャンスも多い』

ということだ。

 

 

これは自分の中では革命的でした。

 

たしかに、好きなことが多いほうが人生を楽しめるチャンスは多い。

たしかに、「だるいわ」が口癖の人よりは、

「え⁉なにそれ!おもろそう!」と言って何でもやる人のほうが

人生が楽しそうなのは簡単に想像出来ちゃいますよね。

 

これはなにもイチゴだけに当てはまるものではなくて、

フットボールにしろ、読書にしろ、

もっと重要な事柄においても同じだとラッセルは言ってます。

 

だからこそ、より多くのものに興味を持てる人、

つまり人生に対して熱意を持っている人は、

持っていない人よりも有利な立場にあるというわけです。

 

 

 

 

これとは反対の、外への興味が薄い内向的な人間は、

人生めっちゃ損してるでってラッセルは言っています。

内向的な人間は、世界の多彩なスペクタクルが目前に繰り広げられているのに、目をそらし、心中の虚無のみを見つめるのである。

 

これは僕の周りの人にも結構いてですね。

というか、フットワークが重いやつは大体これですね。

 

なんかやろう、あれ面白そうだとかこれやりたいとか思ってはいるけど、

結局いろんな理由をつけてやらない人。

そんな人はだいたい内向的になってるんですよね。

 

この前話してた友達が

「いや、俺前は国際系のサークルとか入ろうと思ってたんよね」

と話してくれましたが、なんで入らんの?って聞いたら

 

『なんかだるくなった』

 

って言ってたんですよ。

僕これはめちゃくちゃもったいないなって思って。

興味を少しでも持ったらやるべきだと思うのに、

彼はいまの部活が忙しいからとかなんか興味なくなったとか言って結局辞めたそうです。

 

もったいねぇなぁと思いましたね。心の底から。

 

話はちょっと飛ぶけれど、いろんな経験をした人のほうが

人間としての深みがあったなぁと思うことが多いので、

マジでいろんなことに興味を持って、少しでもやろうと思ったら

ふっ軽で行動するのがめちゃくちゃ大事だなって思います。

 

 

 

特殊な熱意と生活のバランス

一般的な熱意と特殊な熱意という概念があるんですが、

一般的な熱意とは、さっき紹介したイチゴとか読書とか、

まあまあポピュラーと思われるものです。

 

じゃあ特殊な熱意がなにかと言ったら、

・グノーシス派の異端説に関するほぼすべてのこと

・ホッブスの原稿と古い版を校合すること

など、非常にマニアックだなぁと思われることを刺します。

 

ラッセルはこう言っています

非常に特殊化された興味は、人生に対する一般的な熱意ほどには幸福の満足すべき源にならない。なぜなら、そういう興味で、ある人の時間のすべてを満たすことはできないし、また、彼の趣味となった特定の事柄について知るべきことはすべて知り尽くしてしまう、という危険が常にあるからである。

 

また、ラッセルは古代ギリシアの”中庸”という考え方を重要視していて、

良い生活においては、異なる活動のあいだにバランスがなければならない。

どれ一つとして、その他の活動ができなくなるまでに推し進められてはならない。

とも言っています。

 

幸せになるためには、より多くのことに興味を持つ必要があり、

興味を持つ人は興味を持たない人よりも幸福になれるチャンスが多い。

だからガンガン外に興味を向けていいんだけど、

 

あまりにマニアックだったり、

その活動だけしかできなくなったりというようになると、

逆に幸せにはなれないということ。

 

 

何をするにしてもバランスが大事ということですね。

 

 

また、このバランスっていうのは

社会的な状況とか興味を持ったその行為の種類によって異なっていて、

 

社会的な状況で言ったら例えば、

独身子供なし、生活に困らないだけの資産アリ という人ならいくらでもチェスをしていてもよいけれど、

既婚子供あり、仕事をしないと生活できない という人はチェスだけやるわけにもいかないということ。

 

その行為の種類で言ったら、

例えばチェスは知的だし無害だからいいけども、

ドカ食いとかギャンブルはよろしくないですよと言った話だ。

 

当たり前の話ではあるんだけど、

この”中庸”という考え方は幸福論に限らずガチで人生で大切になってくるのでしっかりと押さえたい所ですわ。

 

 

まとめ

 

若干の制約はあるのだけれど、

やはり人生を幸せにするためには

「より多くのことに興味を持つこと」が本当に大事だと教えてくれる章でした。

 

マジで自分にはイチゴのくだりが刺さりに刺さったのですが、

あの一節を読んでからいろんなことに興味を持とうと決心した次第であります。

 

何事にも興味を持ち、

やりたいとおもったことはすぐにやっちゃう。

そんな人生に幸せがあるのだと思います。

 

それでは!

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